7月9、10日大田尭先生、ラジオ深夜便に

金曜日20万人集まったって。
すごい。
保険屋さんの統計です。

一つの事故の陰には300件の小さな事故があるんだって。
今回の20万人。
原発反対の勢力が6000万人という事になります。
小さく見積もっても1000万人。
選挙で変わります。
そう信じます。
帰ったら、わたくしも首相官邸に。



志木市民会館「ひのき屋」さんのコンサートは無事終わったでしょうか?

7月9,10日NHK「ラジオ深夜便 明日への言葉」(早朝4時から5時まで)に 大田尭先生が出演されます。
ぜひお勧めです。
大田先生のお話は心に染みます。
素晴らしい教育者なのです。




今日高橋家の本家探しに岩手県旧松尾村に。
3回目に訪ねたお宅で見事当たりました。
まるで個人的な事なので冷静に書きます。

ぼくの祖父の長兄は視力障害者で本家を追い出された人でした。
あの時代は障害を持っていると家を追い出されるのですね。
その長兄は同じく視力障害者の女性トメと結婚。
トメさんは、霊感がすぐれていたのか、繁盛した「いたこ」でした。
明治の中頃の話です。

行列のできる「いたこ」だった。
無医村も多く、かの地は、医者にかかるのに盛岡まで出かけました。
貧しい人たちは病気を治すために地元の「いたこ」にすがった。
生まれてすぐに亡くなる子どもも多かった。

その視力障害の夫婦からは男の子が生まれず、長女モトミが婿養子をとった。
モトミさんの子どもは何人も亡くなって、五女ヤエメが残った。

ヤエメの子息と今日会う事ができました。
ヤエメさんは2年前に亡くなっていました。
これまでの話は、その息子さんから聴いたのです。


ぼくの祖父の兄弟は長兄の他に次兄もいました。
その次兄が高橋家の家督を継いだようです。
その本家は、いろいろな事情があって、長兄のつながりとは行き来していないのだそう。

「いたこ」の仕事が順調だったらしく、その家はさながら豪邸だったそう。

祖父の長兄の家族の写真を写しました。
このくらいなら個人情報も許されるでしょう。
昭和10年代なのですが、白黒の立派な写真です。
長兄と妻のトメさん、そして娘さんとその子どもが写っていました。
今日お会いした52歳の男性のお母さんヤエメさんが右下の女の子です。


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ぼくと彼との写真を撮ってきました。
ぼくとのつながりを話すと。
ぼくの祖父の兄弟のひ孫です。
いろいろと複雑な話もあったので、2人の写真は、割愛します。


祖父の故郷、岩手旧松尾村。静かな農村地です。

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長兄の高橋家は絶えていました。
今日会った男性は、血は繋がっているのですが、佐藤家になっていました。

次兄の家が本家なのです。
高橋が繋がっているかもしれません。

まあ、それはどうでもいい事です。

ぼくは酒癖の良くない父親とは、仲が良くありませんでした。
本来なら、父親が死ぬ前に聴いておくべきことでした。

今回の調査は、父親への供養です。
生きているうちに聴いておきたかった。




ぼくの祖父は大正9年にキノさんと結婚。
祖父は三男のため家を出て、秋田県小坂町に転居。
小坂の鉱山に職を得たようです。
このころは、知人を頼っての職探しが多かった。

小坂町で、大正15年、ぼくの父が生まれます。
その後、祖父は昭和4年に連れ合いキノさんを亡くし、昭和6年に後妻ユキさんを迎えます。

戸籍によると昭和19年に、本家からから分家しています。
父は戦後に北海道に渡っていますから、何か他の理由があったのでしょう。

三郎は本籍地を変える癖がありました。
何度も変更しています。



20歳の父は単身、仕事を求めて北海道の炭坑、芦別に渡ります。

当時は、小坂の鉱山から北海道の炭坑に移る人が多かったそうです。
(小坂の資料館の人の話)



昨日、松尾村から車で1時間の秋田県小坂町に立ち寄りました。
小坂の鉱山の今です。


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小坂の芝居小屋「康楽館」(とてもいい芝居小屋です)


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小坂は明治の頃、全国有数の鉱山の街でした。
今はリサイクルで回収した電子部品から貴重な金属を取り出し、精錬する会社に。
この再生の技術はイギリスと日本の小坂にしかないと資料館のスタッフ。
鉱山からいち早くリサイクルの会社に転身。時代の先を読んだ経営です。


父親の生まれた小坂。
父親の生前に一緒に訪ねてあげたら良かった。


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