気仙沼、陸前高田を!

東北自動車道を走って、以外に早く宮城に入ったので、気仙沼に行ってきました。
気仙沼駅前の観光協会に。
観光協会というのも気が引けました。
観光じゃないものね。
でも震災の跡を観たいと話したら、地図で教えて頂きました。


「このエリアも、このエリアも津波ですっかり街が無くなっています。
ここには打ち上げられた船があります。商店街の人たちの仮設の商店街もこことここにあります。5キロ南には気仙沼向洋高校があります。その屋上から撮影した写真があります


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丁寧に説明してくれました。




この船。
地元の人は撤去してもらいたい。
第三者は残してもらいたいと。
矛盾しますね。
この船の下敷になった人も。


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向洋高校、本当に海のすぐ側です。
周りは未だに家の墓場状態です。
向洋高校は、建物は残っているけど、2階まで津波で洗われています。
3階はどうだったのでしょう?

気仙沼港のあたりは、コンクリートの建物や、建っていた家の基礎を除いてほとんど平地になっています。

路上に打ち上げられた船長30mほどの船を見ました。
この船を見るだけで、いかに津波がひどかったのかがわかります。

近くの仮設の商店街に。
商店の男性から聴きました。
「9人家族のうち7人が亡くなりました。両親、妻、娘2人、妹とその娘です。私と小学生の息子が生き残りました。
私は、会社の屋根に逃げたけど、建物ごと流されました。津波の濁流に流されて奇跡的に助かりました。
息子は、小学校の3階からヘリコプターで救出されました。
会社も、2年前に立て替えた家も流されました。今は仮設住宅に暮らしています。
子どもたちに元気を贈りたいと、スポーツの施設を作ろうと考えています。欲は無くなりましたね。子どもたちのためになんとかしたくてこの店を開いています」

胸が詰まって何にも言えなくなりました。
小さな駄菓子屋さんのような商店には子どもたちが出入りしています。
「子どもたちへのコンサートをしています。どんな小さなコンサートでも歌いにきます。もし良かったら声をかけてくださいね」
名刺代わりにCDを差し上げました。

こんな体験を持つ人たちがたくさんいるのです。

あれから1年3ヶ月です。
ぼくらの心の中で震災の記憶が風化しています。
大切なのは、語り伝える事です。
それをどのようにするか?それが問題です。

気仙沼から陸前高田を走ってきました。
陸前高田の被害もすごい。
河川の三角州のような土地に市役所、駅など公共施設が林立していた、それがすべて津波の被害にあった。
それはひどいものです。
陸前高田市役所

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ぼくらにできることは何か。
考え込んでしまう。
語り継ぐのも大きな仕事。
そして、記憶を風化させない。
原発の再稼働はどうしてもやめてもらいたいのだ。

自分の目で見る大切さを感じます。
充分知っていると思わないで、現地を訪ねる。
そこから未来が見えてくるような気がします。



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