小千谷幼稚園で
「おとなりkittyさん」そうですね。東京発大垣行きは臨時列車であるのですね。人気があるなんて、驚きました。
「灰色うさぎ」さん。列車に詳しいですね。
ぼくよりずっと、です。
「夜汽車」の響きはいいです。
「花嫁は夜汽車に乗って 嫁いでゆくの」なんていう曲がありました。
嫁いでいくのは別にして、夜汽車はいい。
夜汽車から見えるぽつんぽつんとした家々に灯りがともっています。
その一つ一つの灯りに家族があり、ドラマがある。
「寅さん」の映画でもそんなシーンがありました。
「夜汽車は北国に限ります」と誰かが言っていました。
雪景色にともる街灯、街灯の灯りにシャワーの様に降り注ぐ粉雪。
演歌の世界みたい。
とっくん。今日はありがとう。
お母さんの故郷の小千谷市でのコンサートに、おばあさまを連れて来てくれました。
たんぽぽさん。
毎日ご苦労様です。
Y、Sさんに支えてもらってくださいね。
自分の楽しみも、忘れないでね!
子どもとの時間、お連れ合いとの時間も、たっぷりとろうね!
長く続ける秘訣です。
今日は、小千谷市の「小千谷幼稚園」の保護者のミニコンサート。
昨年のNHK「おはよう日本」を観られた園長の奥様にお電話をいただきました。
テレビの影響も大きいです。
あの映像でぼくのコンサートを聞きたいと思われたのです。思いは同じでした。
こうした出会いもうれしいです。
慈眼寺というお寺の幼稚園でした。
役得です。園長先生(住職さん)から、お寺を案内していただきました。
1868年の慈眼寺の会談の間です。
以下、ホームページからです。
「寺伝によれば、白鳳時代、天武天皇の時代に薩明大徳が創建したと伝わる。860年に真雅が創建したという説もある(『年表小千谷』)。
慶応4年(1868年)5月2日 (旧暦)には越後国長岡藩家老河井継之助と新政府軍監の岩村精一郎(のちの岩村高俊)が会談したことで知られている。河井は中立和平を訴えたが、決裂し、戊辰戦争の内でも激戦として知られる北越戦争に突入した。」
司馬遼太郎さんが同寺を訪れて「峠」という小説を書いたそうです。
取材は、昭和40年とお話しされていました。
「峠」は、長岡藩家老、河井継之助の事を書いた小説です。
毎日新聞で連載されてから、河井継之助が一躍注目を受けたそうです。
ただ、彼が会談に失敗して、和平に持ち込めなかったことで、その子孫は小千谷に帰れなかった、と。
北越戦争で肉親を失った子孫が、この小千谷市にはたくさんおられたようです。
ぼくのよく知らないお話でした。
「峠」を読んでみようと思いました。
司馬さんの小説は、歴史の解釈に大きな影響力を与えたようですが、創作も多かったようです。
歴史小説を書くのは難しいですね。
影響力のない小説でしたら、創作ですんでしまう所が、影響力が多いと、創作を書いても、史実と違うと批判を受けます。
「龍馬伝」も創作が多いと聞きました。
龍馬だって、福山君の様にかっこ良くなかったかもしれない。
史実と創作。難しいですね。
今日は新潟日帰りです。
とっくんに、事務所の仕事を頼んでしまいました。
ありがとう!
小千谷幼稚園のみなさん、ありがとうございました。
子ども達の笑顔、おかしかったですね。
子ども達の「いいの!」しばらく覚悟してください。
園長先生、奥様、初めての出会いでした。
楽しい時間を過ごせました。
長岡駅までの送り迎えありがとうございました。
みなさんのお力で歌っている自分を、つくづく感じます。
「灰色うさぎ」さん。列車に詳しいですね。
ぼくよりずっと、です。
「夜汽車」の響きはいいです。
「花嫁は夜汽車に乗って 嫁いでゆくの」なんていう曲がありました。
嫁いでいくのは別にして、夜汽車はいい。
夜汽車から見えるぽつんぽつんとした家々に灯りがともっています。
その一つ一つの灯りに家族があり、ドラマがある。
「寅さん」の映画でもそんなシーンがありました。
「夜汽車は北国に限ります」と誰かが言っていました。
雪景色にともる街灯、街灯の灯りにシャワーの様に降り注ぐ粉雪。
演歌の世界みたい。
とっくん。今日はありがとう。
お母さんの故郷の小千谷市でのコンサートに、おばあさまを連れて来てくれました。
たんぽぽさん。
毎日ご苦労様です。
Y、Sさんに支えてもらってくださいね。
自分の楽しみも、忘れないでね!
子どもとの時間、お連れ合いとの時間も、たっぷりとろうね!
長く続ける秘訣です。
今日は、小千谷市の「小千谷幼稚園」の保護者のミニコンサート。
昨年のNHK「おはよう日本」を観られた園長の奥様にお電話をいただきました。
テレビの影響も大きいです。
あの映像でぼくのコンサートを聞きたいと思われたのです。思いは同じでした。
こうした出会いもうれしいです。
慈眼寺というお寺の幼稚園でした。
役得です。園長先生(住職さん)から、お寺を案内していただきました。
1868年の慈眼寺の会談の間です。
以下、ホームページからです。
「寺伝によれば、白鳳時代、天武天皇の時代に薩明大徳が創建したと伝わる。860年に真雅が創建したという説もある(『年表小千谷』)。
慶応4年(1868年)5月2日 (旧暦)には越後国長岡藩家老河井継之助と新政府軍監の岩村精一郎(のちの岩村高俊)が会談したことで知られている。河井は中立和平を訴えたが、決裂し、戊辰戦争の内でも激戦として知られる北越戦争に突入した。」
司馬遼太郎さんが同寺を訪れて「峠」という小説を書いたそうです。
取材は、昭和40年とお話しされていました。
「峠」は、長岡藩家老、河井継之助の事を書いた小説です。
毎日新聞で連載されてから、河井継之助が一躍注目を受けたそうです。
ただ、彼が会談に失敗して、和平に持ち込めなかったことで、その子孫は小千谷に帰れなかった、と。
北越戦争で肉親を失った子孫が、この小千谷市にはたくさんおられたようです。
ぼくのよく知らないお話でした。
「峠」を読んでみようと思いました。
司馬さんの小説は、歴史の解釈に大きな影響力を与えたようですが、創作も多かったようです。
歴史小説を書くのは難しいですね。
影響力のない小説でしたら、創作ですんでしまう所が、影響力が多いと、創作を書いても、史実と違うと批判を受けます。
「龍馬伝」も創作が多いと聞きました。
龍馬だって、福山君の様にかっこ良くなかったかもしれない。
史実と創作。難しいですね。
今日は新潟日帰りです。
とっくんに、事務所の仕事を頼んでしまいました。
ありがとう!
小千谷幼稚園のみなさん、ありがとうございました。
子ども達の笑顔、おかしかったですね。
子ども達の「いいの!」しばらく覚悟してください。
園長先生、奥様、初めての出会いでした。
楽しい時間を過ごせました。
長岡駅までの送り迎えありがとうございました。
みなさんのお力で歌っている自分を、つくづく感じます。

この記事へのコメント
4年生の娘が学童保育の教室の前を通ったらO君が「いいの!」って言ってたよ、と教えてくれました。
昭二学童でべんさんは生きています。
その娘が「べんさんは、オードリー・ヘップバーンさんのファンなんだよ」と言って図書館からオードリー・ヘップバーン物語・全10巻(漫画)を借りてきてたので、一緒に読みました。オードリー・ヘップバーンとアンネ・フランクが少女時代に友人だったことを知りました。
昨日は楽しい時間をありがとうございました。
母の故郷でべんさんに会えるなんて幸せでした。
祖母もとても喜んでいました。
僕も日帰りの小千谷行きは初めてでした。
べんさんのことをまったく知らない子どもたちが、引き込まれて行く様子が可愛かったです。
大人向けのコンサートも、メッセージがたくさんつまり、素敵でした。
幼稚園の園長先生夫妻を始め、暖かい職員の皆さんでしたね。
祖母宅まで送って頂きありがとうございました。
小千谷は昨日は特に春らしくていい天気でした。
そんな日に、一日祖母孝行ができました。
ありがとう。